大人の本気の夏休み。自然と子どもが教えてくれた大切なこと。その四

象と太陽のこと

家族みんなで畑に海に。
満天の星空のもと眠りについて暮らす日々。
遊びつくして楽しみつくした後、僕たちはいったい何を手にしたのか?
これからの暮らしに大きく影響を与えてくれるであろう、たくさんの学びの総まとめ。
その四 ”何これ新時代??子育ては一世代では不可能だ!!”

コロナ禍ではあるが、島の夏休みだけあって、多種多様な来客があったり、島の子達と海遊びしたり、はたまた近所の人がふらっと顔を出してくれたりと、賑やかに時が過ぎていった。
大人がドタバタやってる中で、子どもたちも知らぬ間にどこかに遊びに行ってたり、よそでご飯をご馳走になってたり、何となく誰かが見てくれている安心感の中で過ごすことが出来た。
それぞれの人が色々な役割を担ってくれている中で、僕はと言うと、夕方に、子ども達を海に連れ出してその日最後の体力を搾り取ると言う役目だった。
ニコニコ顔で水着に着替えた子どもたちが家の前で待っていたら、否が応でも、まぁ、泳ぎに行くか!という気になってしまう。
戦前の日本では、子供一人に対して、20人ほどの人が緩やかに関わり、育て合っていたと、いつか本で読んだ記憶ある。
もちろん、島でも夏休みが終われば、それなりに人も減り、日常に戻ってしまう。
それでも、都市部とは比べ物にならないくらいコミュニティの繋がりは強く、助けてもらうことが多く、ありがたい。
核家族、共働きのお父さん、お母さんはどうやって日々を乗り越えてるのだろうか?
僕たちには想像もつかない。
その努力や精神的な負担は未だかつて人類が直面したことの無いものなのだ。
何故ならば、親子だけポツンと切り離された子育てなんて、僕たち世代から始まったと言っても過言ではないからだ。

今、僕たちが生活させてもらってる家は、戦後すぐに建てられた、そこまで古くない古民家だが、完全に仕切られた部屋は存在しない。
各部屋を襖で仕切って、仕切りを取り払えば大部屋になるような、昔ながらの間取りだ。
みんなで一緒に生活すると言うテーマの元、作られている。
このスペースの中で子どもも大人も何となく皆が繋がり合いながら、雰囲気を感じ取りながら生活していたのだろう。
この家が建てられた頃は、今のような核家族化、親子でポツンと生活化なんて想像もしてなかったのだと思う。
戦後、文化は欧米化し、核家族化も進んだ。
子どもにもそれぞれの部屋があてがわれるようになり、家族間のコミュニケーションも希薄化した。そもそも、欧米文化は個人を大切にするが、家族で団欒する時間を作ったり、子供部屋には鍵を掛けない、締め切らないなど、家族間のコミュニケーションを円滑にするルールも存在するのだそうだ。日本のように暗黙の了解で成り立ってきた文化とは全く違うのだろう。
僕たちが欧米文化を表面的に形だけ真似すると、根本的に大切な部分が欠如してしまうのだ。

多くの人が関わって、ひとつの家を切り盛りしていた時代。
老若男女みんなが大切にされていたと僕は想像する。
お金を得てくる人。
炊事洗濯をする人。
畑で食べ物を育てる人。
子どもや孫の面倒を見る人。
年下の面倒を見る子ども。
見守ってくれる近所の人。
子供のいたずらに目を光らせる雷おやじ。などなど。
多分、それぞれの役割が等しく大切で、それぞれの暮らしが成り立っていた。
お金を稼ぐ人だけが偉い訳ではなくて、持ちつ持たれつだ。
もちろん、家族だから、面倒な事、大変な事も多かっただろう事は容易に想像出来る。
また、女性の権利なども蔑ろにされてきたことも確かだ。
そんな、いざこざをスマートに解決する手段として、見せかけの欧米化は少々手荒だったようだ。
結果、孤独、育児ノイローゼ、老後不安etc…
老いも若きも暮らしにくい社会の到来だ。
もちろん、女性の社会進出も大切だ。
いろんな権利は護られる必要がある。
家族が別々に暮らす自由も勿論ある。
だからと言って、ポツンと子育てする必要も無ければ、孤独で苦しむ必要も無い。
古き良きシステムの、少し使いづらかった部分を考え直して、さらに臨機応変バージョンアップさせれば良いのだ。
男の人が主夫してたって良し。
女の人が稼ぎ頭だって良し。
おじいちゃんが一家の食事を作ってたって良し。
近所のおばあちゃんが子守り役でも至って良し。
色んな役目を掛け持ちしたり、」交代し合っても良いだろう。
歳とって多少ボケてきても、それはそれで貴重な存在だ。
家庭の中に緩やかな空気を作って、子どもたちの憩いの場になるだろう。
死と生の両極端に居る立場が出会うことで、多くのミラクルが生まれるのだ。
それぞれ、得意分野、適材適所で持ちつ持たれつ活かし合うのだ。
そう考えると、何だかワクワクして来るのは僕だけだろうか?

僕たちのような、田舎暮らしをしていると、風呂も炊事にも薪を使うし、食料自給の畑仕事など、お金にはならない日々の暮らしの為の仕事が山のように散らばっている。
そして、そのような仕事は往々にして、お金を生む仕事より切実で優先順位が高かったりする。
かと言って、誰かに給料を払って人手を確保すると元も子もない。
一緒に生活する家族のような存在がもう一人は必要なのだ。
かと言って、両親をこの輪の中に加えようとしても、彼らにも彼らの生活がある。
汗水垂らして、手に入れた家があり、ローンがあり、車があり、慣れ親しんだ生活がある。
それは仕方がないことだと思う。
戦後復興、高度経済成長、この時に頑張ってくれたおじいちゃん、おばあちゃん、親世代が居なければ僕たちの今もない。
感謝だ。
ただ、失ってしまった根源的で大切な文化もある。
それならば、僕たちにできること。
ないなら作ってしまえ!だ。
家族という枠も超えて、僕たちの子どもたちが孤独に子育てしなくていい環境。
老いも若きも安心してのびのび暮らせるコミュニティ。
新しい形を作ることだ。
そうする事が、結果、自分たちの幸せにも繋がるだろう。

コロナ禍で人との繋がりが絶たれて行く。
孤独で居る人が多くなったと聞く。
世界規模で、浅はかで、その場しのぎの対策が多いのも確かだ。
でも、政府や権限を持った人たちも、自分の責任の中で必死なんだろうと思う。
僕には到底出来ない仕事だ。
なので、それはそれで感謝しながら、僕たちは自分たちの幸せをもう一度作っていくしかないのだろう。
ちょうど、新しい大陸を見つけた開拓者のように。

その五に続く、、、

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