どうも。
今回は僕たちが実践しているありとあらゆるエコプロジェクト(という程カッコイイものでは無いけど、、、)について、満を持して⁉一挙公開してゆこうと思います。
まず、誰もがSDGsなんて言っちゃってるこの時代、何といっても外せないのがエネルギー問題。
我が家の電力事情から見ていくとしましょう。
簡潔に言うとうちのシステムはハーフオフグリッド。(半分は電力会社から、その他は自家発電と言う感じ)
母屋と美容室、バールの照明や携帯の充電などは全て自作のソーラー発電で間に合っている。(ソーラー発電システムは今までDIYした中で1番の満足感なのだ。これに関してはまた別のところで詳しく書こうと思う。)
逆に冷蔵庫、掃除機や電気工具の充電など高い電圧が必要な機器は四国電力産の電気を使っている。男木島の家には、電気温水器が設置されていることが多い。
この温水器、かつてお湯どころか、水の確保が大変だったこの島では度肝を抜かされるほどのお宝機器だったのだろうが、今の時代、僕たちからするとお荷物でしかない。
電気でお湯を沸かすというエネルギー効率の悪さと、破格の電気代が漏れなく付いてくるのだ。(四電製電気を超節約している我が家でさえも何と月々10000円の電気代の請求書がやって来る。)
かと言って、今のところ代替のシステムを見つけれてはいないし、撤去にも手間がかかる。
問題が先送り状態なのだ。
うーん。四電め。
問題を先延ばしにするには月々1万円はなんとも憎い価格設定なのだ。
そんな電気温水器もさておき、基本的にお風呂と炊事は薪でやりくりしている。
と言っても、急にお湯が必要な場合や、水圧を伴うお湯(美容室のシャンプーや風呂のシャワーなどには今のところ電気温水器製の高級湯を使わざるを得ない)
炊事には補助的にカセットコンロを使っている。
お察しの通り、エネルギー自給に関しては、僕たちまだまだ発展途上。
なかなか満足出来るレベルにないのである。
なんせ薪を燃やしてエネルギーを取り出す行為自体、CO2は排出するし、環境負荷が無い訳ではない。
男木島のように、毎年、古民家の幾棟かが朽ちてその処分に困る立地だからこそ、古材を回収し、薪にする循環が成立している。
ただ、この行為は階段と坂道で構成された島の立地上、柱を手運びして薪に加工すると言った、僕の体力で賄われているところが大きいので、今後下り坂を辿っていくであろうフィジカル面を鑑みるといつまでも続けられることではない。
かと言って、オール電化にしてしまって解決できるような簡単な問題ではない。
実際、今後住む環境を考える際、年齢や体力、生活様式に応じて最も効率的なエコエネルギーを使用できる場所や住居設計が必要だと感じている。
今後、コンパクトな住居で省エネルギーで賄えるようにする工夫なども必要だろう。
単純な僕たちは常夏アイランドに暮らせば一挙解決!!なーんて考えたりもしているのだが…
そろそろ僕たちの世代からでも、終活エネルギー問題に取り組まないといけないのではないだろうか。
もう一つ、エネルギー問題と切っても切り離せないのが移動手段だ。
何を隠そうこの私、今の今まで高校生の時にせっせと稼いだバイト代で買った赤いリトルカブ以外ガソリンで走行する機械を保持したことはないのだ。
島の中の移動手段も、今のところはマウンテンバイクで事足りている。
ここまで来たら一生車を持たずに走り切ってみたいとも思っているが、そういう視点で見ると、高松は意外と(狙いがある訳では無さそうだけれど)県外へのアクセスが便利な立地なのだ。
男木島から高松港(完全に街の主要部)までフェリー1本で40分。
家から港間は徒歩2分、高松港はそのまま高松駅に直結している。
高松駅からはJR、高速バスで各方面へ。
高松空港へも直行便が出ている。
街乗り自転車も1日100円で借りれるし、(チャイルドシート付きのものまである)
カーシェアリングもある。
車要らない主義者としては最高なのだ。
今後とも車を使うとすれば、カーシェアリング一択だろう。
お次は買い物に関して。
買い物は重要な選択の連続だ。
何たって、自分の払う対価が、言わば支払われる側の個人や企業、業態の活力になる。
僕たちはいつでも「あなたに頑張ってほしい。」とバトンを渡せるようなお店で買い物がしたいと考えている。
そして、逆に僕たちもそういう人たちに商品を買ってもらいたいと願っている。
購入する商品に対して気を付けていることも少なからずある。
まず気になるのがパッケージだ。
デザイン性はもちろんだが、包装素材を気に掛ける。
僕たちも湿気やすいハーブ類を扱うので、プラ素材を使わざるを得ない場合も理解できるが、機能性以上のものが多すぎる。
プラ包装でかさ増ししてるんじゃないかと悪意を感じる物も少なくない。
極力プラ以外でシンプルな包装で済ませているものを選ぶようにしている。
また、出来るだけ島内で購入できるものを増やして、タッパーやお皿で持ち帰るようにしている。(と言っても、今のところ僕たちが購入できる安心ショップはダモンテ商会さん一択なのだが…)
因みに、妻はスーパーでの過剰包装はその場で解体して帰ってくる。(例えば袋に入っているせんべいが個包装までされている場合など。丸裸にされたせんべいちゃんのコンパクトな事…体積比と価格を換算するとパッケージにお金を払ってるようなものだ。これで世界が変わるとは思えないし、出るごみの量も同じなのだが、スーパーのレジの人には何か伝わるのかも知れないし、大勢が意思表示をしだすことも重要だと思う)
ただ、やはり全ての商品を丸裸で持ち帰るわけにもいかないので、お次の選択肢として、使い切った後に使いまわしできるパッケージを選ぶようにしている。
商品+収納グッズをセットで選んでる感覚だ。
そういう僕たちも、商品を作り販売しているのだが、ハーブティーや乾き物は湿気に弱いので、紙だけでパッケージングすると恐ろしく持ちが悪くなるのと、過剰包装になり、結果ゴミが増えてしまうので、試行錯誤しながら今のところはエコ素材の使用割合が高い防湿性のチャック付き袋を使っている。
チャック付き袋は使いまわせるので、すぐにゴミにもならない。
もっと画期的な解決策が出るまではバランスが大事と言った具合だろう。
その他、衣類なんかは我が家は専ら古着派だ。(僕的には古着の方が肌触りが柔らかかったり、変な糊や染料が剥げてて好みなのです)
ユニクロだって古着なら許せる部分もある。(原料の作られ方や労働環境は気になるけど、もう既に有るものを極力大事にして行くことで、新しい搾取が減らせたら良いなぁなんて思う次第。)
最近は長男の入学準備があり、当たり前のように新品の制服や学用品を購入するように勧められるので開いた口が塞がらない。
どの時代も変化は庶民からなのだろう。
我が家のゴミ事情
僕たちの生活から出るごみはごく限られている。
野菜くずなどの生ごみは元の畑へ戻して再堆肥化。
燃えるものは薪風呂や薪ストーブの炉の中へと吸い込まれる
結果、どうしようもできないプラごみ(小さなコミュニティで暮らすと、皆様のご好意でたくさんのプラゴミを伴う物が好むと好まざるに関わらず我が家に持ち込まれるのである。)と、カセットコンロの空き缶がうちの家の主要なゴミだ。
それでも月1回のゴミの日に45ℓ袋が2袋分くらい出てしまう。
あとは、ウンチが回収されて(男木島は汲み取りなのです)遥か高松に行ってしまうのが惜しくてならない。
そのうち画期的なコンポストトイレなどで解決しようと思っている。
畑での工夫
うちの畑は肥料を持ち込むことはしない。
簡単に考えて、決まった量の地球資源でできた肥料分をあちらの土地からこちらの土地へ。
こちらからあちらへ。
とてつもないシャッフルが起こっている。これでは自然がバランスをとれなくなってしまわないだろうか?と単純脳な僕は思ってしまう。
島で採れた野菜や魚介はまた元の場所に還さないとだんだんと島が枯渇していく気になるのは僕だけだろうか?
また、鶏糞や牛糞などの肥料にしても、その動物のエサのに使われる作物の栽培方法や、そもそもの動物の扱われ方が不透明過ぎて僕たちの中ではNGだ。
不確定要素が多すぎると混乱を招く。
シンプルイズベストなのだ。
結果、畑でできたものはまた畑に還す。島のものは島に還す。と言うシンプルな方法を僕達は採っている。
さっきも言ったけど、ドナドナの如く引き取られていくウンチだけが悔やまれる。
因みに、そうやって、試行錯誤しながら育ててきた畑は、今となっては何を補うことも無く、なんでも、もりもり育ってくれるようになった。
それでも時期が来ると、みんなせっせと何かを土に入れている。
お金と労力が掛かるのだから、僕からすると不思議だけれど、きっと僕には知らされてない、内緒のサムシングスペシャルがあるのだろうと信じている。
海とひなたの美容室
うちはシャンプーだって季節のハーブや柑橘で作る。
スタイリング剤なども全て天然成分で手作りしている。
こう書くと凄い事のように聞こえるが、簡単だし、季節を感じることが出来て、お客さんも喜んでくれるので愉しい。
この島で無くても、もちろんケミカルを含む物は使わない主義だけれど、家庭での排水が海にそのまま流れ込む男木島の設備や立地上、排水には気を付ける必要がある。
ウォータースライダーのようなむき出しの排水路に乗って使った水はそのまま海にGO!GO!なのだ。
集落の上の方で合成洗剤や柔軟剤などを使われた日にゃ中腹に位置する我が家辺りには、泡ぶくのキッツい香りの流水が流れてくる。
テロだ。
泡ぶくテロ。
結局のところ、僕たち島民が、その排水で育った魚を食べたり、そこで泳いだりする事になる。
全くもって、「吐いた唾が、、、」ってやつだ。
以前、浜で採れた貝がとてつもなく柔軟剤の香りがしていた事があって、それ以来食べなくなってしまった。
この問題に関してはかなり世代間での認識の差を感じてしまう。
年配の漁師さんなんて、海は無尽蔵にゴミを飲みんでくれると信じている人だっているのだ。
出来ることをやるしかない。
この記事を書いていて、そもそも、なぜ僕たちはエコにこだわるのか?
ふと、考えるきっかけになった。
子供たちのため?
地球のため?
みんなのため?
まぁ、そりゃそうだけど、、、
耳障りの良い言葉を取っ払うと、結局のところは自分の為なのだ。
僕たちの力は大きくない。
時間も有限だ。
だからこそ目先のことにこだわり、今現在の自分たちの快適さやこころの気持ちよさにこだわる。
はるか遠くの問題には手が回らないけれど、自分の心地良さの為には頑張れる。
徹底的なジコチューなのだ。
エコへの認識の差は結局のところ、心地良さの概念の個人差なのだ。
エコはエゴだ。
少し話が逸れるけれど、僕は税金ひとつでさえ、納得のいかないところには払いたくはない。
そして、そう言う風に一つ一つを取捨選択して行くことで得られるのは意味の無いストレスや、落とし所のない社会への反抗心からの解放だ。
無駄なことで気を病むことが少なくなる。
そう、僕たちには選択できる権利があるし、拒否する権利もある。
その気になればなんとでもできるのだ。
まずは自分が暮らしやすい社会を作ることを始めたらどうだろうか?
自分のために主張したり、拒否したり誰に宣言するでもなく、個人的に身の周りに居心地の良い社会を作っていくのはどうだろうか?
もしかすると、僕の心地よい社会がどこかの誰かさんにも心地良い暮らし方だったって事も有り得るのだから。