想像力と芽を出すこと

今年はハーブ園や僕たち一家の自給畑の移設&拡張をしたので、秋の野菜の種まきは初めての場所で行った。
経験上、初めて種を撒く場所では何度か失敗する。
うちの野菜や植物の育て方は、肥料、農薬、雨以外の水を使わないというのが基本方針だ。
農産物を作るうえで効率を上げるために何かをプラスするという行為は、環境や生命に負荷が無い限りは、経済的に農業を成り立たせるための選択肢だと思うのだけれど、個人的にどうも肥料たっぷりで育った野菜や植物の味や香りが好きではない。
同じ肥料で育った野菜は種類が違えどもどこかしら同じ肥料の味や香りがする。
簡潔に言うとその植物の個性が消えてしまっているのだ。

僕たちは、その植物をその植物たらしめるその個性を十分に発揮させてあげたい。
そしてそういう個性が尊重されたハーブや野菜を食べたり、商品にしたいと思っている。
もっと言うなら、同じトマトでも、1個1個、個性が際立つものになってほしい。
日陰に伸びていって少し緑身が多いインテリトマトや、しっかりと太陽を浴びて熟したラテン系なトマト。
そんなのが混ざってるのがちょうど良い加減で面白い。
インテリトマトもなかなか酸味があっていいねー。なーんて言い合って食べるのが乙なのだ。
今回はそんな個性尊重型栽培への大改造っだったわけで、その奮闘の結果の初めての場所での種まきだったのだ。
そして、第1回目の種まきはお決まり路線の大失敗に終わった。

先にも書いたように、僕たちは種をまいた後、特にその場所に何かを加えたりしないので、必要最低限の草取り以外はただただ見守るだけになる。
ぐいぐい伸びる隣の畑を横目に、マイペースなわが子たちをじっと見守るのはなかなか忍耐のいる作業なのである。
第1回目の種まきの後、それぞれが思い思いに芽を出してそして一瞬で魔法のように跡形もなく消えていった。
僕がマジシャンならスタンディングオベーションものだろう。
今回のような場合、一家四人がベジ飢饉に陥らないように他で育苗すると言ったリスクヘッジを取ることも行うのだけれど、それと並行して、まずは畑に入ってじっと観察する。
野菜の種を持ち込むということは、畑と言う小さいけれども複雑な相互作用の上で成り立っている生態系のサイクルの中に突如外の世界からの侵入があるという事なのだ。
黒船来航だ。
結局、種は上手くそのサイクルに寄与することができず、(消えていくことで寄与したととも言える)馴染めなかった。
畑では様々な植物や虫や菌類がお互いに作用しあい、多様性の中で止まることなくシステムが動いている。
いのちとは絶えず変化をしながら動いていること。
まさに動的平衡だ。
そのいのちの流れにどうすればうまく乗れることができるか?

観察していた限り、発芽した直後にダンゴムシに食べられているような感じだった。
土が未熟でまだまだダンゴムシの働きを必要とする段階だったのかもしれない。
種も弱かったのかもしれない。
考えた結果、種をまく土の表層部を一度攪拌して酸素を行き渡らせ、菌の働きを活性化させることと、少し木片や草のマルチをどかせて湿度を低くしておいた。
種も島で自家採取した種に変えて、2回目の種まきを行った。
すると今回はしっかりとの写真のように芽吹いてくれた。
前回まいた種で発芽していなかったのも一緒に芽吹いてくれた。
その土地の感じや癖を掴んで、外からのいのちを馴染ませていく作業はとても面白い。
黒船来航ではなく、異文化交流。
ようやくこの土地のサイクルの一員として迎え入れられた模様だ。

植物を育てて生業にする者としては失格なのかもしれないけど、僕は植物に対して超放任主義と言うスタンスを貫いている。(植物だけにとどまらないかもしれないけど…)
いかに立派な規格内の作物に育つかと言うよりも、いかにその一つ一つの種が持つオリジナリティーが発揮されているかと言うことに興味がある。
植物、菌類、虫たちそれぞれが躍動しカオスのような状態を作り、その渦が自然のサイクルをよりダイナミックに魅力的に動かしてゆく。
その多様性が惜しみなく再現されている場にいることや、その循環に寄与していることに喜びや楽しみを感じるためにこの仕事をしていると言った方が正解に近い。

僕は種まきの後、発芽しかけの畑をじっと眺めるのが好きだ。
たまに、ポンッと音がするように(あるいは本当に鳴っているのかもしれない)芽が出る瞬間に立ち会えることがある。
この瞬間のワクワク感や神聖なものに触れたような不思議な感覚は本当に素晴らしい。
これぞ「sense of wonder」だ!!

話が少し変わるけど、僕は小さいころ、当時児童文学の仕事をしていた父親の影響もあり、数えきれないほどの絵本や物語の中で育った。
その一つ一つは僕をまだ見たことの無い場所や、限りなく遠い世界や、とてつもなく深い場所や、様々なところに連れ出してくれた。
距離や時間を超えて、どこまでも遠くにまで想像を働かせれることは、少なからず人生を彩り豊かなものにしてくれると僕は思う。
植物や自然と触れ合う感覚はそういった物語が育んでくれたところが多い。
畑に立つとその頃の瑞々しい感覚を植物たちは今でも与えてくれる。
だから考え事なんて畑でするのが一番いい気がしている。

特に子育ての事なんて考えるのには、畑をじっと観察するのが打って付け。
それでいて、子どもが自由に芽を出す事をそっと見守れるようになるにはまだまだだけれど。

そんなことを考えていると、最近よく物思いにふけっている息子の姿に気が付いた。
じっと海を見つめていたり、本の中の絵を食い入るように眺めていたりと、しきりに自分の世界で何かを考えている。
感情とそのものの間の微妙な何かを手探りで確かめてるようなその感じに、彼の中のセンス・オブ・ワンダーの芽をしっかりと見て取れる気がして
ワクワクしている。

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