レモンツリーホテルプロジェクトレポート#2僕たちの課題と未来の挑戦者に向けて

さて、このプロジェクトはどこまでも大ぴらげである。
タイトルは少し大げさではあるけれど、今後同じような活動をされる方々にとって少しでも参考になればと。

#2では、プロジェクトを進める上で、難しかったことや、それをクリアするために、僕たちが取り組んだことなどを洗いざらい書いてゆきたいと思う。
建築の設計に関してのアーカイブは、設計を依頼している安部アトリエさんにお任せするとして、ここでは主にプロジェクトを進める上でぶつかった壁を書いてゆこう。

プロジェクトをスタートしてからと言うもの、日々、思わぬところから難問の矢が次々と飛んでくる。(準備不足も否めないが…)
其々の解決策を捻り出すには本当に労力が必要で、そしてかなりの時間を割かれた。
もう辞めようかと根を上げようと思ったこともしばしば。
コンセプトに掲げたように、このプロジェクトはシェアリングエコノミーとサーキュラーエコノミーの考え方をベースに成り立っている。
未来志向のコンセプトにはワクワクするし、賛同してくれる方も多かった。耳触りのいい言葉を発信することは容易いことなのだけれど、いざ、やり始めると現在の日本の法律や制度の中で、簡単にそれを実行できる方法が少ないことも実感できた。

法規や権利関係
田舎には僕たちが扱う古民家のように、登記が難しいけれども、文化的価値が高い物件も多々あるはず。
権利や法規関係で僕たちがつまずいた箇所を書き出してみよう。

宿泊者を受け入れるための許認可の申請には、旅館業法による許認可と住宅宿泊事業(民泊)による許認可がある。具体的な詳細は省いて、前者は保健所と消防。後者は都道府県と消防。と言うように申請先も分かれる。
また、それぞれ申請に必要な要件も異なる。
どちらかにうまく当てはまれば良いのだが、権利や放棄的な面や金銭的な理由で、うちはどちらにも当てはまらなかった…
以下が具体的に今回、困った点だ。

・登記に関して→未登記物件は事業実態が把握できないので、銀行の設備融資などが降りない。(完成後、旅館業の取得は可能。完成まで自己資金でやり切る必要あり)

・相続が完了していない物件は賃貸契約が結べない。→民泊申請ができない。

・民泊事業の委託が困難→田舎や僻地になると、住宅管理業社(民泊の委託先)が存在しないことが多いため、自ずと持ち主が住み込みで事業を行うこととなる。

工事や施工に関して
・立地上の問題→古民家に手を焼いている地域は比較的不便な立地であることが多い。うちもしかり。
僻地離島、また、階段と急斜面、手運びでの搬入など、資材の運搬や搬入がかなりのハードル。
現場に通ってきてくれる職人さんを見つけるのも一苦労だ。
これだけで施工業社の数は一気に絞られてしまう。また、工事価格も数倍に膨れ上がる。

・サーキュラーエコノミーを取り入れた施工→古材や地域の中であるものをうまく利用する施工や資材運用を工務店にお願いするにはなかなか難しい。
古材の加工や、施工後の補償などを考慮すると、引き受けてくれる職人さんを選ぶのがかなりハード。また、自ずと価格も高くなる。

◉解決策として
権利の問題
個人間の間で契約を結んでコモンズ化することはかなりハードルが高い。
古民家を受け入れる法人を大家さんたちと作れれば、みんなの財産にした上で、事業化できるだろう。しかしながら、持ち主が分からなかったり、そもそも高齢だったり、権利者に多くの親戚を抱えている場合が多く、一筋縄では行かない。
僕たちにはこの方法は取れなかった。

自己資産でもなく、相続されてない(そもそも登記されてない)物件なので、民泊としても利用不可能。
残すは、自己資本で完成させるしか無い。と言っても、コロナ禍などによる資材高騰、立地や上記した様々な条件が重なって、工事費用は3000万円を超える見込み。キャッシュ一括なんていつのことになるやら…
もちろん、できる箇所はすべてDIYで行うことは前提だけれど、(結局今までで職人さんにお願いしたのは鉄筋コンクリートの仕上げ部分のみだ)それでは時間がかかりすぎるし、材料費だってかかる。どこかで稼働させない事には、じわじわと首が締まってゆく。

そこで多くの方に相談しながら考えついたのは、事業の本拠地を自分の敷地内として、改修中の古民家を付帯設備として取り扱うこと。
そもそも、隣だからこそ維持しようと思ったわけだけれど、本当に隣で良かった!
法規的には、うちのカフェの客席としても利用可能だし、また、民泊やキャンプなどのグレーゾーン解消制度による見解で、ガレージキャンプ(室内の設備を利用して屋外にキャンプ泊する方法)は許認可を伴わない旨が公開された。
設計の安部アトリエさんには多大な労力をかけてもらって申し訳なかったけれど、うちの敷地と隣の古民家を、見た目や利用者さん側からはひとつのサービスとなるように、しかし、運営や許認可的には別々で運用できるように幾度となく無理をお願いした。
そして、工事しながらもみんなを巻き込んで楽しめる形を考え出した。
この突破口となった、アイデアソースは、宇治の平等院を運営されている、宇治観光まちづくり株式会社の宮城さんに平等院の案内をしていただいた時に、ピンチを打破された際のミュージアム鳳翔館の設計方法やビジネスモデルについてのお話を聞かせていただいたこと。
ヒントは何気ない形でいつだって誰かから舞い降りるのだ。

◆大事なのは盛り上がりが薄れた時一緒に進める仲間
プロジェクトを気にかけてくださる方には本当に感謝しかない。
でも、物事は浮き沈みがあって、盛り上がる時もあれば停滞する時もある。
僕たちの場合は、最初の発案から、クラウドファンディングにかけて一気に盛り上がり、その後地道な工事や、会社の法人化、運営とコツコツとした作業のターンに移っていった。
そして、多くの問題や課題も降りかかってきた。
この時にいつも相談できる仲間やメンター、一緒に進んでくれるパートナーが居ることはかなり重要だと思う。
僕には幸いなことに多くの方がアドバイスをくれたり、時間を割いてくれたりもした。
何よりも、妻や子どもたち家族がいつも寄り添ってくれていた。
自分の知識や運営力がずば抜けていたらそれで良いのだろうけど、僕は残念なことにそうではないし、どれだけ準備してもたくさんの壁にぶち当たる。
毎回へこむけれど、どこかに前に進むチャンスがあるし、それはふとした些細なことがきっかけになることが少なくない。
必要以上に知識を詰め込むよりも、オープンなマインドで人の輪の中に入ることが一番なのかもしれないと感じている。

さて、肩に力が入ってしまう話はこれまでにして、#3はこれからのレモンツリーホテルプロジェクトについて、ワクワクする未来に目を向けてみたい。
レモンツリーホテルプロジェクトレポート#3

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