僕らとアーユルヴェーダの蜜月な関係 #Introduction

表通りから一歩入った路地裏は夕立ちのむせ返るような空気でどことなく異国情緒にあふれていた。オイリーヘアをピッタリと7:3に分けた、浅黒い肌のインド人男性に連れられて僕は初めてその店の門を叩いた。

「インド5000年の歴史・アーユルヴェーダ専門店」…

僕とアーユルヴェーダの出会いは決してこのようなセンセーショナルなものではなかった。
当時経営していたヘアサロンにインドのヘナやハーブのヘアカラーを導入する目的でその存在を知る事なり、人づてにインドからの取引会社に繋いでもらったと言う経緯だ。
しかし、この時から我々の蜜月な関係は静かに始まっていたのだ。

アーユルヴェーダとはサンスクリット語で生命の科学という意味であり、インド、スリランカでの伝統医療として、西洋医学と同等の権利を有する存在だ。
その守備範囲はとてつもなく広く、外科などの医療全般はもちろん、占星術やサウンドヒーリングのようなスピリチュアルな面もカバーするが、どちらかと言えば科学的な結果の積み重ねの上に成り立つ体系的なメソッドだ。
一般的に広く知られているのは、食事療法、ハーブ療法、オイルマッサージ、ヨガやメディテーションなどだろう。
僕達の生活に取り入れているのも、ハーブやヨガ、日本の季節や食材に合わせた食事と言ったところだ。

さて、はるか西のカレー大国が誇るアーユルヴェーダとなぜにそんなにも相思相愛になってしまったのか説明しよう。
健康維持や病気の回復のためにアーユルヴェーダでは”消化力”に着目する。
どんなに良い食べ物を身体に採り入れても未消化ならやがては毒素となり、病気へと発展していくからだ。
アーユルヴェーダのメソッドには、それぞれの体質に合わせて、一度一度の食事に、完全に消化を促す食材の選び方、調理法、食べ方がある。
また、ヨガなどの運動療法やマッサージで効果を倍増させる。
体質だけでなく季節や時間帯でも方法は変わってくる。
ありとあらゆる生活の場面において、完全に消化を促す方法が網羅されているのだ。
筋金入りの消化力弱者の僕にとってはスパイスの国からやってきたお宝バイブルなのだ。
また、5000年と言うその歴史の長さの中で積み上げられた科学的な検証はある意味、他の医学が追随できない強みだろう。
多分、多くの人が、数多くのの失敗を積み重ね、その中には人生を棒に振ってしまった人も少なくは無いだろう。
そんな経験と結果が積み重なったよりよく生きる知恵みたいなものだ。
僕はそんな5000年のトライアンドエラーの積み重ねの結果にコミット出来る幸せな時代に生きていると言ってまず間違いない。

では、次に僕なりのアーユルヴェーダ的一日の過ごし方もここに書こう。(多分誰の参考にもならない)
まず、僕の場合、起床は朝の3時半~4時くらいだ。(子供たちの幸福に満ちた殺人クラスの叫び声から解放されるためには多少の早起きも良しとしよう。)
子供に気付かれ無いようにそっと起き出せすことが最大の山場なのだが、(ここでしくじると一日は真っ暗闇の中だ。)上手くミッションコンプリートできれば、まずは、ココナッツオイル、重曹&塩で作った自家製歯磨き粉で歯ブラシをする。

そして、1杯の白湯で一日のスタートを切るのだ。

やることはまだまだある。
熱いシャワーを浴びて、マッサージ&ヨガを行う。(僕には何時でもヨガに付き合ってくれるYouTube先生が居るので大助かりしている。)

十分意識も身体も起きたら、胃腸の働きを呼び覚ますために生姜と季節のハーブティーでチャイなどを作る。
自分たちで育てたハーブが体に染みわたっていく快感だ。(このお茶はオンラインストアで売ってるので一応宣伝しておこう。)

スッキリした気分でメールチェックや文章を書いたりと、少し仕事をこなす。

朝食は軽めに済ます。(僕の場合の食事量は朝1:昼3:夜2くらい。糖質はかなりカットして良質なアミノ酸を摂る事を意識している。アーユルヴェーダの食事に関してはまた別に書こうと思う)

その後、畑などの体力仕事を午前中に済ませ、軽めの昼食。

午後は身体より頭を使う仕事を意識して取り組む。(アーユルヴェーダでは、一日を6つの時間帯に分けて、それぞれに最も適した過ごし方がある。なかなか教科書通りにはいかないけど…)

ハーブティーなどでティータイムを挟んで、夕方まで仕事や家事。

できる限り散歩やヨガで仕事の疲れを消化して、18時くらいに風呂。

夕食は昼よりも消化に良い物で軽めに済ませて、(これがなかなか難しい。煩悩ってやつがいつでも邪魔をする、、、)寝るまでの間に消化を終わらせれるようにする。

就寝前にヨガのストレッチや、胃腸を整えるナイトキャップティー(こちらもオンラインストアを見てください。)を飲んで明日の朝の身体を準備して22時までには寝る。

とまぁ、こうやって書くとシンプルでとても整ってる生活だが、実際は嵐のように一日が過ぎて行く。
まだまだアーユルヴェーダライフひよっこクラスとしては、日々の生活にアーユルヴェーダを無理やりねじ込んだ程度だ。
ただ、自分達のパフォーマンスを最大限に発揮生活のできるルーティンは気に入っている。

もちろん、世界中、いや、日本にだってアーユルヴェーダに引けを取らないすばらしいメソッドが沢山ある。
僕は日々の生活で自分の身体をケアしながらの生活をかれこれ10年以上は続けているので様々な自然療法を試してきた。
当たり前だが、それぞれのメソッドにその良さがあり、不得意とする面もある。
では、アーユルヴェーダが僕にとってどのように他との差を産んだのだろうかと、ふと考えてみた。僕達なりの主観だけれど、日本生まれの療法はかなりストイックな性質がある。
何となく文章も硬い気がする。
基本的に真面目夫婦である僕達は、そう言われるときっちり守らないと気が済まなくなる。(自分の身体の声を聞くより、マニュアル重視になってしまうと言ったらわかりやすいだろうか。)
いつの間にやら本末転倒になってしまうのだ。

その点、このアーユルヴェーダときたら、ピッチリ横わけオイリーヘア氏がいつだってニコニコしながら本の中から微笑んでくるのだ。
ハードな内容だってシュール過ぎて肩の力が抜け落ちてしまう。
けっこう深刻な病状でもバイブルを開き、彼らの胡散臭さが少し漂う微笑みを見るとなんだか安心してしまう。
これが大国の包容力なのか。
僕はこうやってアーユルヴェーダの深みにはまっていってしまっているのだ。
まだ見ぬインドの大地をオイリーヘア氏を通して感じているのだ。
インドのパワー恐るべしだ。

タイトルとURLをコピーしました